MoI

MoIがいつの間にか体積計算、表面積計算、重心、寸法表示出来るようになってた。
体積計算時のマテリアルは金属、木材、プラスチック、ガラス等40~50種類は入ってる。


次期ライノに搭載予定らしいグラホっぽいボロノイも行けた。


クロスシュミレーション、なるほど・・・

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徒然


エリザベス女王彫ってみた。

徒然


三角形箇所を浮き彫りにするために、予定になかった背景の断落ち作業が終わった。
プレビューとはいえ、赤白黄黒の4色になったので吐きそうな思いした甲斐あったわ。

お札

超長文失礼・・・

僕が子供の時はコインや切手、紙幣のコレクションというのは男の子のごく一般的な趣味だった。当然僕も町のコインショップに行っては、せっせと安物の切手や紙幣を買い漁ったわけだが、それは切手や紙幣を贋札する為だ。切手は実寸サイズに目打ちし、裏面は薄く糊を引く。紙幣は和紙を湿らせ2枚に開き、ちぎったティッシュの透かし模様を鋏み込む。透かし模様を際立たせるためと、使用感を出すために表面をサンドペーパーで薄く研磨した後、肖像や彩文に至るまで色鉛筆とクーピーで完全に再現する。前島密の1円切手と伊藤博文の1000円札は共に学校の文化祭に出展したが、学校賞(校長賞)を受賞した。

日本の紙幣の歴史は世界的に見てかなり早く、中国に次いで2番目と言われている。室町末期の山田羽書だ。そこから現在に至るまで、紙幣は贋札との戦いと言ってもよい歴史を歩む。紙幣に刻まれる肖像画も実は贋札対策の一つで、稚拙な印刷技術では本物のような複雑な模様等まで再現出来ないためである。明治時代に入り、政府は自国で使用する紙幣を国内で製造するための準備に取り掛かる。(それまではアメリカのコンチネンタル・バンクノート社に委託していた) 主にドイツ(ドンドルフ・ナウマン社)から印刷機を仕入れ、エンジニアとして多数の外国人を雇うことになるのだが、そのうちの一人がイタリア人銅版画師の「エドアルド・キヨッソーネ」である。日本が近代的な紙幣に必要とされる緻密な肖像画はもとより、製紙技術や印刷技術の全ては彼から学んだのだ。キヨッソーネは20年弱の日本滞在で、当時のほとんどの紙幣と切手に携わることになる。いわば、近代日本紙幣の父である。僕は在伊中に師匠から彼の話を聞き、キヨッソーネが在日中に収集したコレクションの多くが展示されている博物館にも訪れた。これが僕の神と崇める一人との出会いなのだ。 ちなみに余談だが、当時キヨッソーネに技術指導を受けた工員が、現「凸版印刷株式会社」の創始者である。 また、我々が良く目にする「西郷隆盛」の肖像画も実はキヨッソーネ作である。 またまた、彼はその人生の最後を日本で迎えたのだが、お墓は青山霊園にある。

キヨッソーネの意思は脈々を受け継がれ現代に至り、世界トップクラスの紙幣を製造出来る印刷技術を授かることになるのだが、中でも肖像に関して言えば、キヨッソーネ以降、世界基準以上のエースが世代をまたいで途切れなかったことは幸運である。

以下、明治以降の日本の紙幣/切手を飾る国立印刷局工芸官列伝である。(印刷局ではデザインや彫刻に携わる職人を工芸官と呼ぶ。彫刻に携わる人は特に「彫刻官」とも呼ぶ。)

○大山助一(1858-1922)
主にアメリカで活躍。
帰国後の明治33年甲100円券の「藤原鎌足」

○細貝為次郎
キヨッソーネの愛弟子。
明治32年甲 5円券の「武内宿禰」
明治32年甲10円券の「和気清麻呂」

○森本茂雄(1886-1930)
昭和5年 乙100円券の「聖徳太子」

○加藤倉吉(1894-1992)
昭和25年 B1000円券の「聖徳太子」
昭和26年 B500円券の「岩倉具視」

○渡部文雄
昭和25年 B 50円券の「高橋是清」
昭和28年 B100円券の「板倉退助」
昭和33年 C10000円券の「聖徳太子」

○笠野常雄(1922-2004)
昭和44年 C500円券の「岩倉具視」
昭和59年 D5000円券の「新渡戸稲造」

○押切勝造(1923-2007)
昭和32年 C5000円券の「聖徳太子」
昭和38年 C1000円券の「伊藤博文」
昭和44年 C 500円券の裏面「富士山」
昭和59年 D10000円券の「福沢諭吉」
昭和59年 D1000円券の「夏目漱石」
平成16年 E10000円券の「福沢諭吉」(昭和59年のD10000円券に少し手を入れたもの)

金額の前のアルファベットは製造世代を表す。現在の紙幣世代は「E」。すなわち、「E5000円券」は「樋口一葉」、一つ前の世代は「D」になるので、「D1000円券」は「夏目漱石」という感じ。
僕達世代では「お札」といえば、1万円の聖徳太子なんだけど、
あの聖徳太子はC10000円券「渡部文雄」彫刻官の手による物だ。

そして、ここからが本題になるのだけれど、お手持ちの現行「E」券を見てもらいたい。福沢諭吉と樋口一葉、そして野口英世の3枚。圧倒的に福沢諭吉の存在感が勝ってるのだ。
3枚とも緻密に描かれて入るが、福沢諭吉以外の2枚は全然イケてないのである。共に眼に覇気がなく、髪の毛の立体感が乏しい。樋口は肌が表面的、野口はそもそも似てない・・・ 一方、福沢諭吉は完璧なまでの福沢諭吉である。脂の乗り切った諭吉56歳時の姿である。日本の行く末を見据えた人物像を感じとれるほどである。
そして現行の「E」券の前の「D」券1000円札の「夏目漱石」。これもまた素晴らしい。参考にした漱石の写真は、我々が良く目にする漱石45歳の時の物。漱石といえば様々な疾患に見舞われたことで有名だが、亡くなる4年前の写真ということで幾分元気がない。肖像にするにあたり、彫刻官は元気な姿に補正して彫ったのだ。
そして「D」券の更に前の「C」券1000円。小学生だった僕でも良く目にした「伊藤博文」の1000円札だ。 通常、紙幣の肖像はその時々に見合った候補者を数人選出して最終的に大蔵大臣が決定するのだが、伊藤博文と最後まで争った渋沢栄一の落選理由が、「お札向きな顔でない」とのことだwww 確かに伊藤博文の方が目鼻立ちも良いし、なにより贋札対策に有効な白い立派なアゴひげが決定打だったようだ。 彫刻された豊かなヒゲは伊藤博文のパーソナルマークとしての存在感を十分に引き出し、かつ繊細な彫刻は、それまでにないほどの細かさを極め、十分に贋札対策になったようだ。

僕は、これら3人「福沢諭吉」「夏目漱石」「伊藤博文」の紙幣肖像は日本銀行券肖像史上最高の出来であると思っている。人物の内面までも表現した圧倒的な技術力は、最強の彫刻官のなせる技であり、その類稀なき技の持ち主が「押切勝造」彫刻官である。元来欧州の凹版彫りは、Unghietta等の毛彫りで均等な細い線を等間隔で平行に彫って行き、途中で線の強弱を変えたりあまりしない。繊細で軽やかな表現に向いている。一方アメリカは線に強弱をつけ、また線間も一定ではないため、ダイナミックな表現に向いている。昔の日本の工芸官は欧/米どちらかのスタイルを踏襲していたようだが、近年は欧米の良いところを融合してハイブリッドとなっている。押切勝造はここらあたりが抜群に秀逸なのである。話はそれるが、明治政府から貨幣原型を託されていた加納夏雄はもはや説明不要で、誰もがその技術と表現の素晴らしさを認めるところだが、加納夏雄を和の横綱とするなら、僕は押切勝造を洋の横綱としたい。生きた時代が全然違うのだけれども・・・ 押切勝造は自身の習作を携えて欧州各国の印刷局を訪れた際、その習作のあまりの出来に、ヘッドハンティングされていたという逸話も納得する話である。

現在、王子にある印刷局に併設されている「お札と切手の博物館」にて「明治の顔展」が開催中である。先に書いた「キヨッソーネ」と近代紙幣の黎明期を支えた技術をアメリカで習得した「大山助一」を特集した展覧会だ。決して大きくはないが、粒そろいの作品が揃っている。特にキヨッソーネの「明治天皇御軍装」は必見だ。明治天皇のお顔は言うにおよばずだが、お召しの軍装は凄まじいまでの「彫り」で、見た瞬間、目から血、鼻からも血が出そうになるほどだ。帰り道はいつも通り自分の不甲斐なさを痛感することになったのだ・・・  ジャンルは違えども、洋彫りを志す物として一見の価値はあるのでご興味ある方は是非。


昔彫った聖徳太子。全然ダメでボツにしたものを引っ張り出してきたw


紙幣関係のバイブル。キヨッソーネ研究は貴重な文献だ。


キヨッソーネの記念切手。勿論シート買い。ウチの家宝。

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zenmai gunso

Author:zenmai gunso
ぜんまい軍曹
2002までミラノ在住。舞台美術・彫刻職人としてイタリア国立劇場勤務の後、宝飾業に転向。イタリア国内メーカーの原型制作や生産に携わる傍ら、「marquise(マーキス)」を発足後、日本に帰国。

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